月で待ってる
01
君が幸せだというのなら
俺は地獄にだってついていくんだろう
その任務が下ったのは、少尉に昇格してすぐのことだった。
他の多くの佐官と違って、身分もコネもないアスランにとって、少尉という肩書は実力だけで積み上げた地位だった。それだから、極秘任務の通達だと直属の大佐の私室に呼ばれたときは、ただ嬉しかったのだ。いつも以上に詰め襟の軍服をきっちり着込んで、丁寧に磨いた靴で大佐の部屋に赴いたのは穏やかな春のことだった。
「思ったより普通なんだね」
少しの緊張と一緒に上官の前に立ったアスランに、大佐がかけた最初の言葉がこれである。どう反応したらよいかわからず、アスランはただ目を丸くさせた。
「は……、何がでしょうか?」
「君だよ、君。ザラ少尉」
大佐はアスランをくるりと指さした。年頃はアスランとそんなに変わらないだろう、ちょっと見たことのない紫の瞳をした青年だった。
キラ・ヤマトという名前だけなら知っている。士官学校を出たキャリア組なら二十そこそこの年齢でも佐官になることはあるが、それにしてもこの大佐は若く見えた。
「噂で聞いた印象だと屈強そうな若者を想像していたんだけど。見た目は普通なんだね」
大佐はアスランを上から下まで眺めた。噂になるようなことをした心あたりがあるにはあったが、意見するのは控えておいた。
「帝国空軍第三師団第十七小隊所属、アスラン・ザラ少尉。三年前の入軍試験をトップの成績で合格。以来順当に功績を挙げ、先日の支那戦線での勝利に貢献、三月一日付で少尉に昇格、か。入軍時の体力試験が歴代二位のレコードを記録してたっていうから、僕はニメートルくらいの大男を想像していたよ」
大佐は資料片手にアスランの経歴を読み上げて笑った。
「ご期待にそえず申し訳ありません」
「ううん、どっちかっていえばよかったかもしれない。君みたいな男のほうが彼女が警戒しなくていいもの」
「彼女……ですか?」
アスランがつい聞き返すと、大佐は意味ありげに口の端を持ち上げた。
「今から君に与える任務の要だよ。説明はとくに必要ないとおもうから、まずは着いておいで」
衛兵でも呼んで案内させるのかと思ったら、大佐自らがアスランの前に立って基地内を先導した。行き先は空軍附属研究所の内部だった。
それは、三年間軍にいるアスランも足を踏み入れたことのない場所だった。ごく限られた人間以外の立入りは制限されているのだ。大佐はセキュリティチェックの高い扉や衛兵の立つ門をやすやすと開いてアスランを奥へと案内した。
(俺なんかが入り込んでもいいんだろうか)
見ただけでは何の研究をしているのかさっぱりだったが、軍の最高機密が凝縮している施設なのは警備の厳重さでわかる。その反面、大佐の道案内はあまりに気軽に思えた。散歩でもするような歩みでアスランの前を颯爽と歩き続けていた。
「ねえ、ザラ少尉」
「……はっ」
十以上の扉を開け、金属のパイプのような廊下を三分ほど歩き続けて、ようやく大佐は口を開いた。
「君、兄弟はいる?」
「は、いえ、一人っ子だったものですから」
「じゃあ、子供は好きかい?」
「……たぶん、人並みには」
「それならよかった」
大佐は笑顔でアスランを振り返った。
「じつは今から、君には子守をしてもらいたいんだよ」
さっきから何なのだろうと首をひねりたくなったが、何かの例え話なのかもしれないと、アスランは慎重に聞き返した。
「大佐。それは、どういうことでしょうか?」
「非常に重要な任務だよ。委員会は何万という候補の中から君を選んだんだから」
彼との会話はいまいち噛み合わない。質問に答えないからだ。アスランがもう一度質問しようとしたとき、廊下の終わりが見えた。
十何個目かの重金属の扉だった。
「あ、そうだ。ここを開けたら急に明るくなるから気をつけてね」
セキュリティを解除する前に大佐は人差し指を立てた。
彼の網膜と声紋を照合させると、あっけないほど簡単に重たい扉は開いた。眼前に広がった景色にアスランは不覚にも目がくらんだ。
四角く白い、病院か工場を連想させるような今までの景色が一変した、そこはまるで明るい森だった。ここしばらく嗅いでいなかった、水と植物のにおいがアスランの鼻をかすめた。
「植物園……?」
温室のようなガラス張りの天井がはるか頭上に広がっている。その上から陽の光が木漏れ日となって降り注いでいた。長方形のガラスの空間が森か林と錯覚しそうになるほど、緑で満ちていた。
室内なのは間違いないから、人工のものなのだろうが春にふさわしいそよ風までもが吹いていて、アスランの髪を揺らした。
「大佐、これは」
「彼女が寂しがりだからさ。木や花があると喜ぶんだ」
「それにしても……」
やりすぎじゃないだろうかと、巨木を仰いだアスランの目に木漏れ日ではない鋭利な光が映った。ライフルスコープがとっさに思い浮かび、次いでアスランは暗殺という二文字を連想して身構えたが、光の方向から降ってきた声は拍子抜けするほど無邪気だった。
「キラ、みーつけた!」
はるか頭上の木から小さな影が落下してきた。
あっ、とアスランは息を飲んだが、降ってきた体は地面に叩きつけられることもなく、雲の上に降り立つように、ふんわり床に両足をついた。影の正体は青い服を着た少女だった。
風を含んだワンピースのすそがゆっくりと落ちて、少女は乱れた髪を揺すった。
「今度はキラが鬼だぞ」
「まいったな、あのかくれんぼまだ続いていたの」
「もちろん」
少女は顔をほころばせた。空の青よりも真っ青な服に良く似合う笑顔だった。その笑顔につられたのか、今まで口元にだけ社交的な笑みを作っていた大佐も目元を緩めていた。
「ザラ少尉、紹介するよ。この子が“彼女”だ」
空軍基地の最深部にあまりにふさわしくない登場人物で少々混乱していたアスランに、大佐は少女を差し出した。
「カガリっていうんだ。そう呼んであげて」
少女の淡い色の瞳がアスランをとらえた。透き通るような淡い金の髪に淡い瞳。ガラスのような印象の容姿と反比例する意志の強い視線に見据えられて、アスランは挨拶の言葉を見失ってしまっていた。
軍本部から正式な通達があって、アスランが例の特務に就いてから三日が経った。
時間の感覚とは面白いもので、同じ三日でも期限付きの報告書を抱えているときなどは三日が一日くらいに感じられるのに、戦闘の最前線に身を置いているときは一日が三日以上の長さに思えたりする。特務に就いてからの三日は今までで一番長かった。
生き死にの緊張でじりじりと焦がされる戦闘任務中とは真逆の理由、退屈と弛緩で間延びした時間のせいだ。なんてことを考えながら朝食をだらだらと口に運んでいたら、声をかけられた。
「前を失礼してもよろしいですか?」
顔を上げると、若葉色の髪をした少年が朝食のトレイを抱えて立っていた。アスランが黙ってうなずくと、彼は眉をひそめた。
「どうしたんですか、アスラン。すごく疲れた顔をしてますけど、大佐から受けた特命ってそんなに大変なんですか?」
「そうだな、この前の支那戦線での潜入作戦のほうがずっと楽だったよ」
「ええ! あの、レーダーの網をくぐり抜けて敵軍本部に潜入攻撃を仕掛けたっていう作戦よりもですか」
若葉色の少年が朝食どころではなくなりそうだったので、アスランは笑ってやった。
「ニコル、そんな心配そうな顔をしないでくれ。俺にとっては、という例え話だ」
「でも、でも難しい任務に変わりはないんですよね」
「慣れないことで、どうしたらいいかわからないんだ」
慣れない、というよりまったく未知のことだった。
「いったい、どんな任務なんですか? もし、僕で力になれることがあるなら手をお貸ししますよ」
ニコルはテーブルから身を乗り出したが、アスランは首を振った。
「すまない。気持ちは嬉しいんだが、任務の内容は軍でもごく一部の人間にしか開示されていない研究が対象なんだ」
勇んで手助けを申し出たニコルの表情がみるみるしぼんでしまったので、申し訳なくなってきて、しばらく考えてからアスランは切り出した。
「じゃあ、ひとつだけ相談してもいいかな」
「は、はい!」
しおれた表情がぱっと生き返ったが、それが次にはそのまま硬直してしまった。
「なあ、ニコル。十四、五の女の子ってどんなことをして遊ぶものなんだ?」
うんざりするくらいドアをいくつも開いて、アスランは真新しい勤務地に向かっていた。
ドアを開けたら、またドアを開けるという作業はアスランに子供の頃に見た北の国のおもちゃを連想させた。卵形の人形を開いたら、また人形があり、それをまた開く。何重にも守られた、その中心にあったのはやはり大切なものだったのだろうか。
(守るべきもの、か。壊れやすい、弱いもの……)
アスランは三日前に見た、少女の折れてしまいそうなほど華奢な手足を思い浮かべていた。まだ記憶は鮮明だった。
そう、じつは大佐にカガリを紹介されたあの日以来アスランは彼女を見ていないのだ。大佐にかくれんぼの鬼の役をバトンタッチされたからだ。
「たぶん、君に彼女を見つけるのは無理だろうから、本でも読んで時間をつぶしてくれていていいよ。隠れるのに飽きたらカガリのほうから姿を現して次の遊びを提案するだろうからさ。そしたら、また付き合ってあげてね」
潜伏兵を発見するための訓練も受けている自分が、ただの女の子を見つけられないはずがないと、アスランは少々むっとしたが、大佐の言葉は正しかった。
(金色の髪と、金色の瞳と、白い手足)
大佐の言うように時間つぶしをする気はなく、今日も緑の森のどこかにあるはずの淡い色で構成された少女の姿を、アスランは律義に探していた。探しながら一日中、姿を思い浮かべてばかりいる。もう一度、どうしても会いたくなっていた。
温室は正方形の底辺を持つ長方体の形をしていた。
ここにカガリは暮らしているのだ。部屋の中心に天蓋つきのベッド、その横に白い箱のようなバスルームがある。そこが彼女の寝室らしかった。らしいというのは彼女がベッドにいるのを見たことがないからで、この三日、あるじのいないベッドはいつもからっぽだった。
レースとフリルをたっぷりと使ったベッドはアスランが出勤してくる前にベッドメイキングされてしまうのか、それとも主人が帰って来ていないままなのか、今日も使った形跡がなかった。
(これだけ探して見つからないということは、温室の外に出ているのか?)
彼女は研究所の中を自由に動き回れるのかもしれない。
温室にいるのは物言わぬ植物ばかりで、空調が送る人工のそよ風に木の葉が時折ざわめく他は音のない世界にいるような静けさだった。どこを歩いても自分の靴音しかしないので、かくれんぼだというのは本当は嘘で、あの少女はもうこの部屋にはいないのではないかという結論にアスランは達していた
(大佐は彼女が飽きれば自分から姿を現すと言っていたが)
あの妙に若い上官は、ほとんど何も説明してくれなかったに等しい。アスランが本部から受けた通達も、空軍技術開発部、第八十二号室(というのがこの温室の呼び名らしい)そこの警備というそれだけだった。ただ、ここで見たものについては最重要機密事項につき他言厳禁という条件だけがついていた。
(彼女はいったい)
一番わからないのはカガリだった。軍の研究所の最深部に、たったひとり少女が住む部屋がある理由とはなんだろう。
(まだ、なにもわからない。わからないことだらけだ)
温室に差し込む太陽の光がオレンジがかってきても、アスランはカガリの影さえ見つけることができなかった。
四日目も収穫なしだ。部屋の中心に戻ってきたら、真っ白な寝台も茜色になっていた。
(なにをやってるんだ、俺は)
つい、一週間前までは激動の戦線にいたというのに。
アスランはレースフリルの縁取りがある枕をなんとはなしに、なぞってみた。
「触るな、変態」
背後で声がして、アスランは弾かれたように振り向いた。しかし、背後には木が立ち並ぶだけで人の姿はおろか気配すらなかった。
(いま、たしかに)
索敵レーダーが周囲を警戒するように、アスランは瞬時に注意をめぐらせた。
声の響きからしてそう遠くない。どうして気付かなかったのだろう、とくちびるを噛むと、アスランの放つ警戒も殺気混じりになり空気がぴりぴりと緊張した。
「お前、かくれんぼ下手だな」
くすくすと、くすぐるような少女の声で笑われた。アスランは自信を打ち砕かれそうだった。後ろを向くと、ベッドの真ん中に青いワンピースの少女が足を投げ出して座っていたからだ。
シーツに無造作に並べられたカガリの両足は、アスランの腕よりも細いように思えた。こんな娘にどこでどう出し抜かれてしまったのか。アスランの失意など気にもならない様子で、カガリはつまらなそうに頬をふくらませた。
「まったく。全然勝負にならないじゃないか。お前それでも軍人かよ」
アスランはなんとか苦笑いをした。
「これでも成績はよかった方なんだけどな。君のかくれるのが上手すぎるんじゃないか?」
「そうか? キラはいつもすぐ見つけてくれるぞ」
少女はゆったりと足を持ち上げてあぐらをかいた。
ヤマト大佐は空軍でも第二の規模を誇る、このハルバート基地の幹部を務める人物だ。その彼をファーストネームで呼び捨てにできるというのは、どういう関係を示しているのだろうか。
身内か、友人か、それとも。
「……君と大佐は仲が良いんだな」
「もちろん。キラは私の恋人だからな」
カガリがにこりと首を傾けると、夕日を受けて赤みがかった髪がさらりと揺れた。
「恋人……」
カガリに対面したら聞こうと思っていたことを、頭の中で箇条書にしていたのに、一言つぶやいたらすべて忘れてしまっていた。恋人という言葉は、大佐と彼女の謎の親密さを説明するのに最適だった。
「なんなら、おまえも恋人にしてやってもいいぞ」
さらにとんでもないことを言ってのけて、いたずらっぽくくちびるを曲げる。アスランが何か言う前に、ふわりと体を伸ばしたカガリが右耳にかすめるようなキスをした。
「な……!」
一瞬遅れて、くちびるで触れられたところが沸騰した。
「あはは! おまえ本当におもしろいな」
誘う美妓のような顔をしたかと思ったら、もう子供の顔で大笑いしていた。
「大人をからかうんじゃない!」
たかが十四、五の子供のすることじゃないかと無視しようとしても、気持ちは落ち着かなかった。つい先日、出世祝いだと先輩に連れていかれたクラブで店の女性に似たようなことをされたときは嫌悪しか感じなかったのに。
「ええっと。アス、ラン……かな?」
手探りで発音するような呼び方だった。
呼ばれて顔を上げると、カガリがチェーンの付いた銀のプレートを頭上にかかげて眺めていた。アスランは反射的に自分の胸元を探った。
「それは」
「やっぱり大事なものなのか?」
「君、いつの間に」
「今だよ、今」
しゃりん、とチェーンがしなって音が鳴った。
「なあ、これ、大事なものなのか?」
「ああ、そうだ。だから返してくれないか。俺が君に敵わないのはよくわかったよ」
正直に言うと、カガリは満足そうににんまりした。
「い、や、だ」
髪を軽く持ち上げると、ネックレスの形になっているプレートをカガリは自分の胸に下げた。
「な、私のいうことひとつ聞いたら返してあげるっていったら、お願いきいてくれるか?」
赤外線感知式の対人レーザーが十五機、警報機直結のセンサーが十三機、監視カメラが二十六台。
とりあえず目に見えるものだけ数えてみてアスランはうんざりした。研究所からカガリの部屋にいたるまでの防犯設備の数にだ。
(これじゃ虫一匹だって逃げられないぞ)
いったいどんな敵を相手にするつもりなのか。アスランの頭に過保護という言葉が浮かんだが、対人レーザー一機だけでもアスランの給与一年分が吹き飛ぶ額のはずだ。この設備を整えるだけの予算をただの過保護で捻出できるはずがない。
(……カガリはいったい何なんだ)
彼女の存在自体が不可解なことはさすがに気付いていたが、カガリの身辺を知れば知るほど、わからなくなってくる。カガリの正体について、アスランの予想しているいくつかの可能性のうちもっとも有力なものは、この国の最高権力者である皇帝の近親者ではないかというものだったが。
(でも、だとしたら、なぜ空軍の研究施設に?)
結局、思考はスタートに戻るだけだった。
「な、できそうか?」
床に座り込んでパソコンをにらんでいたアスランの前に、ひょこりとカガリが顔を出した。アスランはちらりと目線を上げて、また画面に戻してうなった。
「正攻法でいくのはとてもじゃないが無理だな。大佐の許可がなければ二歩も歩かないうちに監視カメラに捕まるよ」
「じゃあ、どうするんだよ」
カガリはパソコンを逆さに覗き込んでアスランの邪魔をした。
「多少困難でもいいなら、道はある」
「ほんと? どんな?」
カガリが弾むように顔を上げたので危うく額がぶつかるところだった。散歩に誘われた子犬のような笑顔で視界がいっぱいになり、アスランはまたしても言おうとしたことを奪われそうになった。
「……いや、正攻法でだめなら裏技でいくまでだ」
「おもしろそうじゃないか、裏技」
「しかし、軍が侵入作戦に使うような方法だぞ。俺は大丈夫でも君の運動能力と体力が問題なんだが」
「それならたぶん心配ないぞ。キラに言わせたら私はとても優秀らしいからな」
カガリはまるで人ごとのように自分を評価した。
(また、キラか)
彼女の口からは日に何度も「キラ」の名前が出てくる。それしか名前を知らないみたいに、彼以外を代名詞で呼ぶからなおさら目立つのだ。実際、アスランもいまだに「おまえ」呼ばわりだった。
「行くなら今からでも出発できるけどどうするんだ?」
「もちろん、早いほうがいいに決まってるだろ」
カガリは小さな女王様のように仁王立ちになってうなずいた。
自ら主張した通り、カガリの運動能力はとても優秀だった。それも、出来すぎなくらいに。腹ばいになって通り抜ける必要もあったダクトでの行程は、アスランでも疲労を覚えるものだったのに、数時間かかって、やっと太陽の下に出られたときのカガリの喜ぶ顔に疲れは見当たらなかった。
「おまえの言った通りだな! 風が冷たくて気持ちいい」
カガリは両腕を伸ばして壁のない広さを味わうようにくるりと回った。
アスランが予想していた通り、通風孔は基地外周の森林地帯に繋がっていた。遥か頭上に針葉樹の葉が重なりあって緑の天井を作っており、そこから注ぐささやかな木漏れ日が、しんと冷えた森の底を照らしていた。アスランがカガリの温室で感じた森の匂いはここなのだろうか。
アスランの隣で少女は肺の空気をすべて入れ換えるくらい、深い深呼吸をしていた。ぐっと細い肩が上がって、またすとんと落ちる。
「本当にこうして連れ出してくれるとは思わなかったな」
「それは、俺の能力が信用ならなかったってことか? いちおうこれでも特殊作戦部隊に所属していたんだけどな」
どういう意味で言われたのかがわからなかったので、少しひねくれた返答をしてみたが、カガリは首を振った。
「いいや、そうじゃなくて。おまえ、真面目そうだからさ。反逆罪に問われてもおかしくないようなことに付き合ってくれるとは思わなかったんだ」
カガリが初めて見せるような殊勝な顔をしていたのでアスランは笑った。
「自分が何をしているのかはわかっていたみたいだな」
「当たり前だろ。だって、何のために廊下にあんなレーザーが張り巡らされてると思ってるんだよ」
なあ、と呼びかけてカガリはまつげを伏せて、
「これ、そんなに大切なものだったのか?」
と、胸元からアスランのネックレスを取り出した。
「大切なものに変わりはないが……」
じつをいうと、それだけのためにカガリの頼みを聞いたわけではなかった。
(我ながら馬鹿なことをしたとは思うが)
彼女が何者かはいまだに不明だが、ただの子供の家出に付き合ったのとはわけが違うだろう。本来の自分はもっと機械のように計画的で、思いつきで行動したことなどただの一度もなかったのに、カガリの頼みをきくと決めたときは理性的な計算などどこにもなかった。
どうして彼女に付き合うと決めたのか、自分でもわからない。果たして、軍法会議にでもかけられたら、そのときにでも後悔するのだろうか。
「とりあえずは誰にも気付かれないうちに君を送り返すことに全力を尽くしてみるよ」
「私が帰る気になるかどうかは知らないぞ」
「それなら、どこに行きたいんだ? 移動手段は徒歩しかないが」
「そうだよな、おまえ足遅いもんなあ」
頭の後ろで手を組んで考えて、カガリはぱっと振り向いた。
「街に行こう、街に。私、一度デートしてみたかったんだ」