夜明けの名前

異世界?パロ



 ひどい旅になったな、とアスランは胸のうちで呟いた。
 木々のあいだを縫って走る馬車は、まともに座れないほど揺れている。
「大丈夫か? 顔色がひどいぞ」
 向かいに座る同乗者はうなずいたが、真っ青な顔には絶望の色が濃い。
 物見遊山のような、安穏とした旅にはならないという覚悟は初めからあった。道中どこかで、問題や事件が起こる可能性は親衛隊からも指摘があったので、安全への対策は何重にも行っていたのだ。
 けれども、いまアスランは命の危機に追い詰められていた。
(敵がこちらよりうわてであることを認めなくてはならないな。非常に優れた精鋭部隊だった)
 疾走する馬車のなかで、アスランは直前の戦いを分析していた。
 黄昏どきの薄闇にまぎれて街道脇の林から躍り出てきた集団に、旅の一行は完全な不意打ちを食らった。隊列は乱れ、統率をとる間もなく防戦を強いられたのだった。国王軍からの選抜部隊にその場の応戦を任せて、アスランを乗せた馬車は離脱することを優先した。いまは親衛隊の騎馬が隊列を組み直し並走している。
「やはり今回のことは殿下を誘い出す罠だったのですね。なんという卑劣な手を」
 向かいの侍従が悪態をつく口調でつぶやいた。
「まだそうとは決まっていないだろう。敵の正体がなにかはわからないんだからな」
「ですが、奴らが身に付けていた甲冑はオーブ軍のものでした!」
 吐き捨てるように侍従は言った。握りしめた拳が震えている。
「たとえ奴らがオーブ軍所属の兵卒だったとしても、この襲撃がオーブ国王陛下の指示だとは限らない」
「殿下はお優しいからそのようにお考えになるのです」
「情けをかけて言っているんじゃないぞ。オーブの国王はこんな合理性を欠いた方法で俺を消そうとなんかしないし、まして新たな戦争の火種を作るような浅はかなことはしない」
「そうでしょうか……」
 冷静に説明すると侍従は少し落ち着きを取り戻したようだった。安心させるように笑いかけてやりながら、アスランは付け足した。
「それに、もしも俺を殺したいのならオーブの王宮に着いてから暗殺するほうがよっぽど簡単で確実だとは思わないか?」
 言い終わる前に、何かにぶつかるようなひどい衝撃があり、馬車が止まった。とっさに窓枠につかまっていなければ体を投げ出されていたところだった。
 実際、反応の遅れた侍従は前のめりに壁に体をぶつけてすでに気絶していた。
「おい、しっかりしろ!」
 助け起こそうとする前に馬車の扉が開いた。
「殿下、申し訳ありません! 馬車馬をやられました」
 敵が飛び込んでくる可能性を考えて身構えたが、叫びながら乗り込んで来たのは親衛隊の若い隊員だった。
「殿下は私の騎馬をお使いください! 動ける者数名が共に参ります」
「わかった。ではこの者を頼む。戦闘員ではないんだ」
 頭を打ったのか、侍従は目を開ける様子もなくぐったりとしている。
「なるべく戦わず、かわして逃げろ。俺がプラントかオーブの政府と連絡をつけるまで辛抱してくれ」
 アスランが希望を込めて言うと、隊員はにっと笑った。
 馬車を出るとあたりはもはや乱戦状態になっていた。急を知らせてくれた隊員のものなのだろう、空の馬をそばに見つけて、アスランは迷わず飛び乗ると手綱を容赦なくひいた。
 敵の何人かがアスランに気づき追うそぶりを見せたが、親衛隊が噛みつくようにそれを阻止するのを、一度だけ振り向いた時に見た。あとは、前だけを見て身を屈め、アスランは馬を走らせることに集中した。
(動ける者が供をすると言ってはいたが……)
 背後から迫ってくる馬の足音はしばらくたってもない。敵も追ってきてはいないようだが、おそらく味方の誰もが戦闘を抜けられなかったのだ。
(……戻るか)
 一瞬だけその言葉がひらめいて、けれどもアスランはすぐに頭をふって打ち消した。アスランが戦闘の場に戻ることを、親衛隊の誰もが望まないだろう。
 ならば、自分のするべきことは、一刻も早く然るべきところへ事態を知らせ救援を送ってやることだった。
 念のために背後に追手のいないことを確かめて、アスランは最大の速度で駆けさせていた馬の脚を緩めた。街道を進んでいた馬車は敵に遭遇して林へ逃げ込んだ。それからは、最短でたどり着ける街に向かって走っていたはずだ。
親衛隊ならばとっさにそう判断しただろう。
(ひとまず、方位を確認した方がいいな)
 オーブ国内の地図を頭の中に呼び出しながら、アスランは開けた場所を探した。
 しばらく行くと林の切れ間に泉を見つけたので、走り通しだった馬に水を飲ませながら、方位磁石を取り出した。沈みかけた太陽と影も見比べながらこれからの進路を考える。
 じきに夜が来る。
 日が落ちてからの移動で進める距離は知れている。最適な方策はなんだろうか、諸侯が治める街を目指して領主へ取り次ぎを要求するべきか、それとも……
 思考を巡らせていたため、気づくのが遅れた。すぐ背後に人影が迫っていたのだ。その人物が派手に枝を踏む音をたてたので、アスランは仰天して振り向いた。
(追手か!)
 相手がオーブ軍の兵卒だと認識するのと同時に、アスランは短剣を抜いた。そのまま切りつけるつもりで飛びかかったが、敵の反応も早かった。そばの茂みに素早く姿を隠されたので、軽率な深追いはやめてアスランは馬を気づかいながら後ずさりした。
 いま、騎馬を失えば完全な敗北となる。
 敵の漏らすわずかな音も、木の葉の揺れも逃さずとらえようと感覚を研ぎ澄ました。
(さっき見た兵士一人だけだろうか。他にも追手が隠れているのか)
 追われていたことにまったく気づけなかった自分に舌打ちする。短いあいだに、アスランの目は兵士の姿をしっかり確認していた。簡易的な鎖の胴着だけで冑もないようだったから、下位の兵士だろう。目立つ金髪をしていた。
木々の緑の中に隠しようがない金色の髪。
 じっと対峙する時間が続いたが、ある一瞬にその色が枝葉のすきまにきらめいたのをアスランは見逃さなかった。
 迷わず地面を蹴った。
 敵が動いたのは逃走のためか先手を打つつもりだったのか、どちらにしても仕留めなくてはならないと思った。
低木の奥でじりじりと後退していた兵士は不意をつかれた様子で、はっと顔を上げたがアスランの攻撃の速度になすすべもなかった。相手が予想外に小柄だったことに驚きながら、アスランは利き手を拘束し組み伏せた。
掴んだ腕が頼りないほど細かった。
(まだ、子供か)
 ためらいがよぎったが、情けをかけられる状況ではない。
 短刀を持ちかえ、振り上げた。
「きゃあああああ!」
 高音の悲鳴が戦いの緊張を突き抜けて響いた。子供の声でも、男の声でもない。
 唖然としてアスランは手を止めていた。
「女……?」
 乱れた金髪の間から、淡い色の瞳がこちらを見ていた。潤んだ目を囲むまつげが長い。
 それを見て右腕をねじり上げていた手が知らずに緩んだ。
「おまえ……」
 兵士の格好をした少女が声を出した。肩で息をするほど呼吸が荒い。少女の体を押し潰すようにして拘束しているアスランに息づかいが直に伝わってきた。
 圧倒的に不利な立場にありながら、少女は瞳を燃やしてこちらをにらんでいた。
「いいかげんにしろよな!」
 次に叫んだ声は負けん気たっぷりだった。あきれるほどの威勢に戦闘の気力を抜かれて、アスランは短刀を下ろしていた。
「……おまえ、オーブの兵士か?」
 オーブに女性の徴兵があるという話は聞いたことがなかった。
「違う」
 少女は短く答えた。
「だったらなんだってそんな格好を」
「旅をするのにこれ以上便利な服装がないから着ているだけだ」
「女なのに?」
「女だからだ」
 ぶっきらぼうに言ってから、少女はさらにきつい目をしてアスランを見上げた。
「いいかげんに離せよ。おまえ、重たい」
「つまり、兵士の姿をしているが兵士ではなく、俺に対して害意はなかったんだな」
「今はあるぞ、不当な暴力を受けたからだ。泉の水を汲みにきただけなのに、短刀で襲われたんだからな。おかげで背中が痛い」
「悪かった……」
 アスランの置かれた状況からすれば仕方のないことだったとはいえ、彼女からすれば完全にアスランは暴漢だった。
 拘束を解いて助け起こそうとしたが、振り払われた。少女は立ち上がると土や木の葉のついた服をはたいた。
「すまなかった。オーブの兵士だと思ってしまった」
「おまえは、反逆者か犯罪者か? 兵士を見たら襲いかかるなんて」
「オーブの兵士に追われていたのは事実だ。正確には兵士の姿をした集団にだが」
「どういうことだ?」
 髪をふるって砂を落としていた少女が動きを止めてこちらを見た。
 年齢は同じくらいだろうか、アスランの目線より少し低い位置に頭のてっぺんがある。一見すると十四、五の少年兵にしか見えない。
 こんな相手にあれほど警戒したのかと思うと、冷静なつもりでいた自分がじつはひどく動転していたのだと気づいた。
「俺はプラントの人間なんだ。目的があってオーブ国王陛下に謁見するためにきた」
「へえ……」
「だが、それを知り、阻止しようとする集団がいたということだ。道程のなかばでオーブ軍の甲冑を身につけた奴らに襲撃された」
「そうか……オーブの国王軍も一枚岩ではないからな」
 考え込むようにうつむいた少女が口のなかでつぶやくのを聞いて、アスランは目を見開いた。
「おまえ、オーブの内情に詳しいのか?」
「少しな。でなきゃ軍服なんて手に入らないよ」
 少女の身でありながら正規の手段で軍服を手に入れたということだろうか。
「どういうやつなんだ、おまえは」
「それで? おまえの他にもプラントから来た者達がいたんだろう? まさか、ひとりで旅してきたとは言わないよな」
 少女にたずねられて、アスランにふたたび焦りがわいてきた。
「護衛してきた兵士や親衛隊は俺だけを逃がして敵を食い止めて戦っていた。プラントでも有数の精鋭たちだ、簡単にはやられたりしないが、俺も彼らのために手を打たなくては」
「王宮に行くのか?」
「王都までは休まず馬を走らせても三日はかかるだろう。それでは時間がかかりすぎる。今いるこの土地を治めている諸侯に救援を要請しようとしていたんだが」
「わかった、案内しよう」
 少女はきっぱり言うとアスランの乗ってきた馬に向かって歩き出した。
「ちょっと待てよ、一緒に来るってことか」
「私はオーブ国民だぞ、それに旅慣れている。おまえよりははるかに道に詳しいからな」
「だが、馬は一頭しかないぞ」
「二人で乗ればいいだろう。幸い私は軽いんだ」
 自慢げに腰に手をあてて、彼女は笑った。
 緊迫した表情ばかりだった少女が見せた笑顔にアスランは息を飲んだ。一瞬、言おうとしていた言葉が浮かばなくなる。
「なんだよ、文句があるのか」
 少女がむっとくちびるを尖らせたので、アスランは吹き出して笑った。
「いや、そうじゃないんだが。正直に言うと地理には自信を持てなかったから道案内はありがたい」
「なら、行こう。方角は真東。領主の城は馬を潰さないくらいに夜通し走らせて夜明け前には着くくらいの距離だ」
 言いながらすでに鞍に手をかけていた少女が、ふとこちらを振り向いた。
「おまえ、名前は?」
 じっとアスランを見つめる瞳は琥珀のような色をしている。
「アスランだ……アスラン・ザラ」
 少女の瞳がゆらいで、大きく見開かれる。
「アスラン……」
 名前を復唱した声が震えていた気がして、アスランは怪訝に思った。
「もしかして、俺を知っているのか?」
 オーブの国民に、自分の名がどのくらい認知されているのか検討がつかなかったが、いまは市井の話題になっていてもおかしくはない。けれども、少女は首を横に振った。
「いや、知らない」
 そのままあぶみに足をかけるとひらりと馬に乗ってしまった。乗馬に慣れた者の身のこなしだった。
「馬に乗れるうえに、兵士でもないのに軍服を着て、オーブの内情にも明るいなんて、不可解なことばかりだな」
探るように見上げても、少女は澄まして前を向いていた。
「そういえば、まだ名前を聞いていないぞ?」
「わたしに名前はない。家出してきたんだ」
「家出? 旅をしているというのはそのためなのか。なんでまた家出なんか」
「私の意志を聞かずに結婚を決められたから怒って出てきたんだ」
「結婚?」
 聞き返しながら、アスランも馬の背にまたがって手綱を取った。
「奇遇だな、俺も最近婚約が決まったんだ」
 つい半時前まで全速力で走らせていた馬を気づかって、速度は上げずに歩かせる。
「知ってるよ、オーブの王女と結婚するんだろ」
「なんだ、やっぱり俺のことを知っているんじゃないか」
「当たり前だろ。王女の婚約はオーブの国民のいま一番の関心事だぞ。よりによって、つい一年前まで戦争していたプラントの王子と婚約したんだからな」
 アスランが手綱を持つと、少女を腕のなかにおさめるような格好になるため、顔は見えない。けれども、彼女がふくれ面をしているだろうと、なんとなくわかった。
「やはりオーブの国民感情は歓迎していないのか」
「それはないだろう。むしろ和平の象徴だと歓迎してるさ」
「だが、俺は襲撃された……」
 アスランは奥歯を噛み締めた。それを気遣ってか、少女はなだめるように言った。
「大丈夫、おまえは歓迎されているよ。ただ納得していない連中がいるというだけだ。それも国王軍にいながら外交を無視する馬鹿達だ」
 それを知れてよかったと少女は言ったが、どういう立場からの物言いなのだろうか。ずっとアスランの疑問をかわし続けているが、この少女はいったい誰なのか。
「君はいったい……」
「さあ、そろそろ急ぐぞ。この速度じゃあ、明日の昼なってもつかないぞ」
 言うなり少女は手綱をひいて馬を急かした。
 走り出した騎馬を御さなければならなくなったアスランは、疑問を置き去りにするほかなかった。


 少女の案内は的確だったのだろう。空が明るくなり始める頃には領主の居城に到着していた。
 身分の証しとなるものを携帯していなかったため、領主への取り次ぎに手間がかかることをアスランは覚悟していたのだが、ここでも少女が不可思議な力を見せた。門番と二言、三言会話するだけで門を開けさせ、応対した執事にもすぐに領主への面会を用意すると頭を下げさせた。
「君は、もしかしてここの領主の令嬢なのか?」
 門番や執事は兵士の服装をしたこの少女へ、貴人に接するような態度で応じていた。
「残念だけど、はずれだ」
 少女は首をすくめた。慌てた様子で下がった執事を見送ると、彼女はくるりとアスランに向き直った。
「わたしが誰かはそのうちわかるよ」
 謎かけをするように笑う。
「どういう意味だ」
「ここの領主に見つかったら、家出はここまでになっちゃいそうだから、わたしはそろそろ行くよ。もう少し一人旅をしてたいんだ」
 話をしながら、彼女は城の玄関に向かっていった。自分の役目は終わったとばかりにあっさりと去るつもりなのだ。
(まだ、なにも……)
 彼女の名前すら聞いていないのに。
 せめて名前をたずねようとして、アスランは声を飲んだ。これから婚約者に会いに行く自分に彼女の名前が必要だろうか。
 戸惑ったわずかの間に少女はもう玄関の扉を番人に開けさせていた。
「待てよ!」
 気づいたら呼び止めていた。
「俺が名前を聞いたのに、まだ答えてないだろ?」
 玄関の扉のすきまから朝日が射し込んだ。すでにおとずれていた夜明けの白い光にアスランは目を細めた。
 少女は逆光のなかで微笑んだように見えた。
「カガリだ!」
 光を受けて輝く金髪をなびかせながら、カガリと名乗った少女は走りだした。
「カガリ……」
 アスランは口の中で、名前を繰り返した。聞き覚えのある響きのような気がする。
「……カガリ?」
 そのとたん、はっとしてアスランは玄関扉に駆け寄った。とにかく少女の後を追おうとしたが、城門までの道にカガリの姿はなかった。
「カガリ・ユラ・アスハ……」
 それは、オーブの王女の名前だ。
 アスランがプラント国民の平和の希望を背負って会いに来た、婚約者の名前だった。




2018年の運命の出会い記念日に書きました
アスカガは二人の背景も含めたすべてが最高のボーイミーツガールだと思います

2018/03/08