別の世界では

学パロ キラとカガリ



 宇宙まで繋がっていそうな青空だった。
 水彩絵の具のような透き通った青色をしているのは、昨夜雨が降ったからだろうか。
 ふと見た窓の外がいつになく綺麗に思えて、キラはぼんやり校庭を眺め続けていた。昼食後の眠気がまぶたを下ろそうとしてくる。昨日は遅くまで幼馴染に頼まれたプログラムを組んでいたので寝不足気味だった。
 次の授業までまどろんでいようとした時に、視界にちらりと光るものが現れて、キラははっと瞬きをした。
「……アスハさん?」
 光って見えたのは金色の髪だった。校庭の木陰を歩いているクラスメイトがいた。新緑の葉をたっぷりと茂らせた桜の木の下を散歩というよりは速い速度で歩く。やがて木陰にあるベンチに腰掛けると、彼女は手にした本を開いて足を組んだ。その様子をキラはじっと観察していた。
(今日もひとりでいるのか)
 見事な金髪をした少女の名前はカガリという。目立つ髪の色に加えて整った容姿をしているために、彼女は学内で有名な存在だった。他学年の生徒も彼女の名前を噂にするくらいなのだが、それは人気者というのとは少し違っていた。
 キラが見つける彼女はいつもひとりだった。クラスメイトとさえにこやかに会話をしているのを見たことがない。
(たぶん仲良くしてみたいとは思いながら、みんな遠巻きにしてるんだよな)
 美人なのにいつも不機嫌そうだ、と誰かが言っているのを聞いたことがある。たしかに眉間に力の入った表情をしている彼女のイメージがすでにキラの中にもあった。
 この学校に入学してからひと月と少し経った。クラスの中に徐々にグループが形成され、コミュニティができつつある。しかし、その枠の中に彼女、カガリはいなかった。
 スピーカーから大音量で流れたチャイムの音でキラは我に返った。昼休み終了五分前の予鈴だった。笑い声とざわめきがあふれていた教室の音がすうっと引いてく。自分のクラスに帰って行く者、外から戻って来る者。
 キラも次の授業の教科書を用意しながら、もう一度校庭の桜の下のベンチを見た。彼女はまだそこに腰掛けて本を読み続けていた。他の生徒が小走りに校舎に戻っていくのに、顔も上げない。
(……サボるつもりかな)
 どうやらそのようだった。時計は授業開始三分前を指していたが、彼女はベンチにもたれたまま焦る様子もなかった。
 じつは、彼女が授業を欠席するのは珍しいことではない。このひと月あまりのうちに、授業に出なかったのは十回では済まないだろう。それもおそらくは教師に無断で。
 その奔放な態度が、優等生の多いこの学校では他の生徒から浮いてしまう要因のひとつでもあった。
 授業開始まであと一分になっても彼女はやはり動かなかった。キラは教室を振り返った。クラスメイトのほとんどが揃い、教師を待つ姿勢になっている。空いている机はひとつだけだ。
「キラ、どうしたんだ?」
 後ろの席の友人がたずねてきたのは、唐突にキラが立ち上がったからだ。自分でも説明できなかった。なにか、正体不明のスイッチが入ってしまったようだった。
「ちょっと具合悪くなったから休んでくるって、先生にいっておいてくれるかな」
「は?」
 雑に言い置いて、キラは教室を飛び出した。廊下を早足で抜けて階段を降り、外へ出た。途中で何人か教師をすれ違ったが気にしないことにした。
 薄暗い校舎から出ると初夏の日差しが目の前を真っ白にした。思わず目を細める。白い地面に濃い影を落とす若葉の緑とのコントラストが鮮やかな校庭の隅に、ひっそりと隠れるように彼女はいた。近づこうと足を踏み出したところで、授業開始の鐘がなった。
「授業には出ないの?」
 ベンチのそばに立って声をかけると少女はさすがに驚いて顔を上げた。
「ここ、涼しいね」
 ひなたは汗ばむくらいの気温だったが、木陰は風が吹くと心地よく爽やかだった。
「何読んでるの……ってそれ教科書?」
 少女はページをめくる手を止めたまま大きな目をぱちくりさせていた。
「教科書読みながら授業には出ないの? 面白いな」
「おまえこそ、なんで授業出ないんだ」
 少女は眉を寄せてこちらを見上げた。なるほど、これが誰かが言っていた不機嫌そうな顔かと思いながらキラは笑いかけた。
「アスハさんがここにいるのが見えたからサボっちゃったよ」
「なんだよ、それ。わたしのせいにする気か」
 クラスメイトはますます機嫌を悪くしたようだった。
「いいや、僕は正直に言うと授業にあんまり興味がないんだ。予習しすぎてしまったみたいで、知ってることを重ねて勉強するのが少し退屈だったんだ」
「すごいな、やっぱりおまえ優等生なんだな」
 少女は感心したように目を丸くした。
「僕のこと知ってるの?」
 キラに対して顔を知っている以上の認識が彼女にあるとは思わなかったので、意外に思ってキラは声を弾ませた。
「あたりまえだろ、同じクラスだし、おまえ目立つしさ」
 目立つようなふるまいをした覚えはなかったが、クラスの誰とも深い関りを持たない彼女と自分に少し特別な繋がりができたようで、キラは微笑んだ。
「僕、じつは君のことがずっと気にかかってたんだ」
 少女は吟味するようにじっとこちらを見返してきた。
 髪の色と同じ金色の瞳。ふちどるまつげも金色だ。学校のあちこちで騒がれるのも納得する。けれどもキラが惹かれたのはその見た目のためではなかった。入学式で初めて目にした時からいつも彼女の姿を追っていた。知らず目が追ってしまうのだ。綺麗だと思う。群れたがる同級生の中、他人を寄せつけない態度をあえてとる彼女に興味もわいたが、それだけではない。説明のつかない引力を感じていた。
「隣に座ってもいいかな」
 少女はむっつりと口を結んだままだったが、キラはベンチの空いた場所に腰を掛けた。
「アスハさんは学校が嫌いなの?」
「カガリでいいぞ、その呼び方はなんだかこそばゆい」
 そうことわって、カガリは手の中の教科書を閉じた。
「べつに嫌いなわけじゃないんだけど、なんか窮屈でさ。一時間もじっとして教師の話を聞いてなくちゃいけないし、みんなと足並み揃えて同じように行動するのも苦手なんだよ」
「でもみんな、君と仲良くしたいみたいだよ」
「その言い方は仲が悪いように聞こえるな」
「悪いとは言わないけど、良くもないよね」
 キラが肩をすくめてみせると、カガリは膝の上に頬杖をついた。
「わたしだって普通にしたいんだぞ。でもな、『昨日のあのドラマ見た?』とか聞かれても見てないものには知らん、としか答えようがないだろ。ちゃんと答えてるのにショックを受けたような顔をされるのは納得いかない」
 校舎をにらみながらカガリが言うのを見て、キラは吹き出した。
「なるほど、そういうやりとりの積み重ねで一匹狼ができちゃったんだね」
「一匹狼ってなんだよ。そんなに笑われると腹が立つな」
 カガリはくちびるをぎゅっと曲げて、けらけらと笑い続けるキラをにらんだ。
「ごめん、ごめん」
「おまえ、優等生のくせにいろいろ失礼なやつだな」
「そうかな」
「そうだよ。失礼の詫びにサボりに付き合え」
「……というと?」
「おまえ、バイク持ってるだろ。せっかくめちゃめちゃに天気がいいのに勉強なんかしてたらもったいないと思ってたんだ。出かけよう」
 幸か不幸か、制服のポケットにバイクの鍵を入れたままだったので、駐輪場から学校の外に出るのは簡単だった。
 カガリが行き先に指定したのは近くの丘の上の公園だった。昼間の空いた道なら十分も走れば着く場所だ。
 たまに一緒に乗る幼馴染のために用意しているヘルメットをカガリにかぶせて後ろに乗せて走った。到着するまでカガリはずっと無言でキラにしがみついていた。バイクは初めてだと言っていたので、怖かったのだろうかと心配したが、公園でヘルメットを脱いだカガリは目を輝かせていた。
「すごいおもしろいな! バイクって」
 少し息を弾ませながらカガリはキラに言った。
「車とは全然違う。走ってる感覚が肌で分かるのってすごい! 後ろに乗っててこんだけ楽しいなら運転するのはもっと面白いんだろうなあ」
 飛び跳ねて喜びそうなくらいカガリははしゃいでいた。学校の中の彼女からは想像もできない表情だった。
「乗りたかったらいつでも言ってよ。僕も誰かを乗せて走るの好きだし」
「それならあとで家まで送ってもらおうかな」
 カガリはあたりを見渡すと、大きくひとつ伸びをした。制服のスカートが風にひらめく。
「ってことは学校には戻らないつもりなの?」
「この次は最高につまらない歴史の授業なんだぞ。戻るわけないだろ」
「いや、でも荷物とか……」
「そんなものより、見てみろよ、この景色!」
 カガリが駆け出した先に先に広がる景色はミニチュアのような街だった。公園の端が高台になっていて、さながら街が一望できるテラスだった。
「へえ、ちょっと登っただけなのにこんなに見晴らしがいいなんて思わなかったなあ」
「すごいだろ?」
 自分の手柄のようにカガリは誇らしげだった。クラスメイト達が見たらなんというだろう。こんなに豊かに表情を変える彼女をきっと誰も知らないのだ。
「ねえ、カガリ」
 初めて名前を呼ぶのにキラは少しもためらわなかった。それどころか呼び慣れた名前のように思うのはなぜなのだろうか。
「僕がバイクを持ってるってよく知ってたね。あんまり話してないから友達くらいしか知らないと思ってたよ」
 キラは答えを待ったが、カガリはしばらく背中を向けたままだった。時折、金髪が風になびいてちらばる。
「知ってたぞ、ずっと」
 ゆっくりとキラに向き合ったカガリはどこか神妙な顔をしていた。
「おまえ、わたしのことが気にかかってたって言ってたけど、私も入学式のときからずっと気になってたんだ、キラのこと」
 海から吹く風が二人の間を吹き抜ける。乱れた髪をかきあげてカガリはキラを見つめた。
「なんなんだろう、よくわからないんだ。学校にもたくさん人がいて、同い年の人ならクラスに四十人はいるのに、キラだけ違うんだ」
「おんなじだね」
 そっと、キラは同意した。するとカガリはおもむろにキラの正面に歩み寄ると手を差し出した。
「ん? なんでここで握手?」
「なんだろう、友達になろうってことかな」
「なんだろうって、ほんとに面白いな、カガリって」
 くすくす言いながら柔らかく触れるように握手をした。
 カガリの手はほんのりと熱を持っていた。
 この感情は異性に魅せられているのとは違う。けれども彼女に感じるシンパシーのようなものはなんなのだろう。触れたところから共鳴のように広がる。
「わたし、ひとりっ子なんだけどさ。弟がいたらこんなかんじかなって、今日はじめておまえと話して思ったよ」
「僕が弟なの? 兄じゃなくて?」
「当然だろ」
 カガリが胸をそらせて言うのを見てキラはまたたまらず笑い出した。
「じゃあ、姉さん。弟からのアドバイスだけど、授業はできるだけ出席しておいた方がいいよ。出席数が足りなくなると本当に僕より学年がひとつ下になってしまうよ」
「余計なお世話だ」
 腕を組んでそっぽを向くカガリに不思議な懐かしさを感じる。
 もしも別の世界があるのなら、二人はほんとうに姉弟だったのかもしれないと、一瞬だけ途方もない空想をする。
 そのわずかのうちにカガリは駆けだしていて、さらに登った先にある展望台に行こうと手で合図してきた。五月の青空を背景に立つ彼女へキラも手を振り返した。





ceroの「Orphans」という歌を聞きながら書きました
私的キラカガのテーマです

2018/05/20