初恋
種後
「……カガリ?」
くるんと跳ねた金髪に赤いジャケットの後ろ姿を見つけて、アスランは思わず名前を呼んだ。呼び掛けられた人物がこちらを振り向く。少女はちょっと驚いた顔をしていた。
「……アスラン、こっちにいたのか」
「ああ、MSの整備に付き合ってたから」
答えながら、すうっと空間を泳いでカガリの隣に立つ。
ここはクサナギの展望デッキだ。休息をとっている人員が多い時間帯だからか、アスランとカガリの他には誰もいなかった。大きな窓のある部屋には、巨大な戦艦が静かに息づくような低いうなりだけが響いている。
「カガリも休憩時間だろ? 部屋で休まないのか」
「……うん」
「なにか考えごとでもしていた……?」
少しの沈黙のあとカガリは答えた。
「……いいや、どちらかというと何も考えてなかったかも。なんとなくぼうっとしてたんだ」
「疲れてるんじゃないのか? ちゃんと休まないと……」
「それは私がおまえに言いたいことだぞ。こっちのMSの整備の手伝いまでしてるなんて、働きすぎじゃないのか」
こちらに話の矛先が返ってくるとは思わなかったアスランは目を丸くしたが、驚きはゆっくりと笑みに変わった。小言のような口調だが、心配でたまらないという顔をしている。カガリの気づかいが嬉しかった。
「俺なら大丈夫だよ。休息ならちゃんととっているから」
「ほんとかなあ。ちゃんと寝るんだぞっ」
カガリは疑るようにこちらを見上げてから、ふと目線を落とした。
「……たぶん、そのうち休みたくても休めなくなるんだからな」
カガリの表情が曇ったのを見て、アスランはこの先に待ち受けているであろう戦闘のことを思った。たぶんカガリも同じことを考えたのだ。エターナルの最終調整が終われば、ひとときの繋留地であるこの港を出ていくことになる。その先には必ず戦いが待ち受けている。
「……不安か?」
アスランはそっとたずねたが、カガリは首を振った。
「先を考えて不安になることはないんだ。ただ、私にはなにができるだろうって考えてた。この戦争を終わらせて平穏な世界を築くために私にできることを」
「……いま?」
「そうだな、いま考えてた」
「やっぱり考えごとしてたんじゃないか」
アスランが指摘するとカガリは笑った。
「ほんとだ! 自分で気づいてないなんておかしいな」
声をあげて笑ってから、目を細めてアスランを見る。
「一人で考えてたらハツカネズミになるぞっておまえに言ったのにな……だから、アスランと話せてよかったよ」
晴れやかに言うカガリを、アスランは胸を打たれた思いで見つめた。彼女の中にも渦巻く想いや憂いはあるのだろう。それでもカガリは光を見ている。まだ見えない未来から射し込む細い光をカガリは見つけようとしている。いつだって。
気づいたらカガリの手を握っていた。ほんとうに無意識だったので、カガリの驚いた声ではっとしたくらいだった。
「えっ……あの」
カガリの頬がみるみる染まる。先程から肩が触れるくらいの距離で話していたのに、触れた途端に彼女は様子が一変する。
アスランの手の中でカガリの手のひらが熱を持っている。小さな手だった。
ぎくしゃくと肩をこわばらせるカガリにはあまりこだわらずに、アスランは自分の手よりも一回り小さく柔らかい少女の手を確かめるように握った。
こんなに小さな手、細い指で掬い上げられた自分。そしてこの手が掴もうとしている未来を思った。
「……俺も、カガリと話せてよかったよ」
結んだ手を引き寄せると、並んで立つ二人の影も繋がる。カガリの頬は変わらず色づいた桃のようだったが、腕の緊張は緩んでいた。
「おまえはいつもいきなりだな……」
「なにがだ?」
「……なんでもない」
唇を尖らせて呟くと、カガリは少しだけアスランに体を寄せた。触れあうことに安心感を覚えるのはアスランだけではないようだった。
このクサナギの展望室がアークエンジェルのものとよく似ていることにアスランはずいぶん後に気づくのだが。『なんでもない』とカガリがはぐらかしたのが、唐突にカガリを抱き締めたことを指すのだと、気づいたのはさらに後になってからのことだった。