secret of my life

運命後



 どうして彼女がこんなに僕をかまってくれるのか。それを深く考えたことはこれまで一度もなかった。
 誕生日はかならず顔を見せ、プレゼントを手渡しにくる。どんなに忙しい時期でもそうだった。一度、月から駆けつけたのだと言って夜中にやってきたときはほんとうに驚いた。冗談なのかと思ったけれど、翌朝のニュースに月面の連合基地で演説する彼女の姿が映っていたから冗談のような真実なのだ。
 ものすごくおかしな変装をして授業参観に来たことも二度だけある。顔を隠すためにつばの広い帽子をかぶって、色の濃い大きなサングラスを掛けていた。目立たないようにしたかったらしいのだけど、彼女はとても目立っていた。帽子とサングラスで顔はほとんど見えなかったのに、僕は一目で彼女だとわかったし。クラスのみんなもたぶん気づいていた。廊下に屈強な護衛が二人もいたからだ。
 彼女の名前はカガリ・ユラ・アスハ。僕の父の姉。つまり叔母だ。叔母は僕の住む国の国家元首をしている。国内一、忙しい仕事に就いているというわけだ。それなのに、彼女は半年ごとに変わる僕の靴のサイズまできちんと知っていて、総合テストで学年一位を獲ったときなんかには友達みんなが羨望するようなスニーカーを送ってきてくれるのだ。
 両親には僕しか子供ができなかったから、つまり彼女の甥っ子も僕だけなので、彼女がかまうべき血縁の子供は僕だけなのである。そのおかげで彼女の情愛が一点集中したのだろうなと、僕はずっとそんなふうに思っていた。
 だから、十八の誕生日プレゼントはなにがいい? なんでもいいぞ? と電話で訊かれて、なんでもいいなら俺は雪が見てみたいとふざけて答えたリクエストを彼女があっさりかなえてくれたときも、国家元首ってほんとにすごいんだなという驚きしかなかった。彼女がどんな気持ちでいたのかなんて、想像もしなかった。

「そんなに走らなくても雪は逃げないって」
 おおい、と呼ぶ声が追いかけてくる。僕はガラスドアの向こうにある景色に夢中になっていた。
「すごい! ほんものの雪だ」
 空港の外はなにもかもが雪まみれになっていた。植え込みは真綿をまぶしたよう。道路の端にも建物の屋根にも、車の上にまでこんもり雪が積もっている。空からもふわふわと砂糖のつぶみたいなものが降ってきている。思わず手を伸ばして触ってみたら、砂糖菓子のように見えていたものは手のひらの上ではらりと溶けた。
「雪だ」
「そんなに雪が見たかったとはな」
 やっと追いついたカガリが吐く息も真っ白だった。ふわふわの金髪が冷たい風になびく。白いポンチョコートを着ているおかげで雪の妖精みたいだ。
「カガリはスカンジナビアなんて何度も来ているから見慣れているかもしれないけど、オーブで暮らしていたら一生見ることができないもののひとつだよ。雪は」
「それはそうだ」
「小さいころ、カガリがくれた絵本のなかに雪国の話があったよね。あの本がすごく好きだったんだ。いつかぜったい行きたいって思ってた」
 ぜったいに行きたいと思いながら、たぶん行くことはできないんだろうなとも思っていた。両親に海外旅行をねだって、首を縦に振ってもらったことは一度もないからだ。オーブの中ならどこへでもほいほい連れて行ってくれるのに、わずかでも国境を越えた場所に行きたいとせがむと、父も母もとたんに悲しげな顔をして首を横に振るのだ。父も母も、蜂蜜漬けにするみたいに僕を甘やかすのに、海外旅行だけは許してくれなかった。だから母の故郷であるプラントも、僕は映像でしか見たことがない。
「父さんと母さんは有名人だから旅行したがらないのかな」
「そうだなあ……」
 カガリは真っ白な雪を降らせている灰色の雲を見上げて、あいまいに返事する。
「父さんも母さんもこんなすごい景色を見ないでいるなんてもったいないと思う」
「キラは案外、世界をあちこち見ているよ」
 背後から声がして、僕とカガリは同時に振り向いた。
「あ」
「アスラン」
 名前を呼んで、カガリはにっこり笑っていた。はぐれたのかと思ったぞ、とからかいまじりの声で言っている。
「ラウンジにいるかと思ったら急に走り出すからなにごとかと思ったよ。雪に夢中になっていたとは」
 アスラン・ザラが「まだまだ子供だな」というような目で僕を見下ろしてきた。なんとなくムッとして睨み返す。
「足がなまってるんじゃない? 准将って座ってばっかりっぽいし」
「お前、キラみたいな物言いするようになってきたな」
 アスランが緑色の目をまんまるにして笑う。アスラン・ザラは父の幼馴染で、親友らしいのだけど、僕のことをものすごく小さな子供だと思い続けているみたいで、家にやってくるたびに背が伸びていることに大げさに驚いたりする。心ここにあらずといった顔で呆然と僕を見るのだ。子供という生き物がどういうスピードで成長するものなのか、まるでわかってないのかもしれない。
「それで『キラは案外、世界をあちこち見ているよ』ていうのは? 僕の知らない間に父さんが海外を飛び回ってるとかそういうこと?」
 腕組みしながら見上げると、アスランは目元にほんのり皺を寄せた。
「アフリカの砂漠や、夏のアラスカ、地中海の海をキラが見たのは十代の頃だけどな」
「それってつまり……」
 戦時中のことか、と合点がいったのであえて言わなかった。アスランも言い出したくせに詳細を説明する気はないようで、結果黙った二人を見ていたカガリが横から話題を変えようとしたところに、するりと助け船のようなリムジンが現れた。ホテルからの迎えだった。
 キラ・ヤマトほどのMS乗りは世界のどこを探してもいないんだよ、とすごく酔っ払ったときのムウさんが一度だけ僕にこぼしたことがある。けれどもプラントと地球連合が戦争をしていた頃の話を、父から直接聞いたことはない。それなのにキラ・ヤマトに関する記事は無限にあるのだ。ネットの海を探れば、モビルスーツ一機で一連隊を壊滅させたなんて嘘かほんとうかわからないような話がごろごろしている。僕の父はそういうひとだったらしい。父も母もむかしの話を僕には一切しないから、ネットの記事の真偽はたしかめようもなく、あまり信じてはいなかったけれど。
 アスラン・ザラが言うならほんとうなのだろう。オーブの内側しか知らずに生きてきた僕とは比較にならないほどの壮絶な経験をしてきた父、そして母。僕をオーブに押し込めていたのはその反動なのだろうか。おかげで十八にもなって雪にはしゃいでしまう、情けないくらいの世間知らずだ。
 誕生祝いの旅程は一泊。一泊が限度なのだと、カガリはすまなそうに言っていたが、十分だと僕は思った。プライベートの旅行なのにカガリには護衛が十二人もついてきた。僕が見たのが十二人だというだけなので、裏方にはもっといるのかもしれない。ホテルでもフロアをまるごとおさえてある。やりすぎじゃないかと僕が驚くと、カガリは三部屋しかないフロアだからたいしたことではないよと笑っていた。その上夕食のためにホテルのレストランを貸し切っているし、こんなおおげさな旅行を何日も続ける気力は僕にはない。
「どうした? あまり口に合わないか」
 じっと下を向いて魚料理を咀嚼していたら、カガリに心配されてしまった。
「いや、ちょっと考え事してただけ」
「そっか、大丈夫か? おまえ、考え出すとぐるぐるしちゃうだろ」
「そんなたいしたこと考えてないよ。静かだな、とか思ってただけ」
 答えてからぐるりと周囲を眺めた。夜景が望めるホテル最上階のレストランだ。巨大な窓の向こうでは街の明かりがひしめいている。ゆったりと並べられたテーブルにはそれぞれ花とキャンドルが置かれているが、どれもからっぽだ。真っ白なテーブルクロスで整えられた無人のテーブルは客を待っているわけではない。今夜の客はカガリと僕だけなのだ。
「もしかして落ち着かないか? だだっ広いしな。個室もあるらしいんだけど私は広い方が好きだからこっちにしてもらったんだ」
「僕も広いほうが好きだから個室で食事するよりフロアの方がずっといい。欲を言えばにぎわってるフロアも見てみたかったけど」
「そっか……ごめんな」
 カガリが申し訳なさそうに眉尻を下げる。僕はあわてて首を横に振った。彼女の警護のためにレストランはからっぽになったのだとしても、謝る必要はどこにもない。
「謝らないで。カガリが連れてきてくれなかったら、ほんものの北欧料理を食べることはできなかったよ」
「うまいか?」
「うーん、母さんの料理ともオーブの料理とも違う」
「あいまいだなあ」
 カガリは楽しそうにくすくす笑っていた。
「世界にはびっくりするくらいいろんな料理があるんだ。死ぬまで旅を続けてももすべてを味わうことはできない、一生をかけてもすべての本を読み切れないのと同じだ。でも、私が食べて美味しいと思ったものはいつかおまえに食べさせてやりたいよ」
 しんみりと言う。まるで叶わぬ夢の話をするみたいにカガリは僕を見ていた。それが不思議だった。
「心配しなくても僕は自由だから、そのうち世界中を旅するつもりだよ。いまは未成年だから保護者の許可がいるけど、大人になればいくら父さんがダメだと言っても一人でどこへでも行けるからね」
 胸を張って展望を語りながら、僕は空港まで見送りに来た両親の表情を思い出していた。二人とも微笑んで手を振っていたけれど、今生の別れのような耐え難い寂しさをこらえているように見えた。ほんの一泊二日の旅行なのに。そんなにも僕を国外へ出すのが恐ろしいのだろうか。
「頼もしいな、おまえは」
 カガリが目を細める。
「そうだよ? 砂漠だって山奥だって行こうと思えばいくらだって。カガリの好きなケバブも現地で食べてみたいし、アジアの屋台とか行ってみたいんだ。人でいっぱいのものすごく賑やかなところ」
「静かすぎて寂しいなら、アスラン呼ぼうか?」
 だしぬけに言われて僕は目をまんまるにしてしまった。
「なんで、あいつを?」
「暇してるだろうから。アスランは今回仕事で私についてきたんじゃないからな。ああ見えてずぼらだから部屋でルームサービスでも食べてるだろうし」
「仕事じゃないなら何しに来たんだ」
「決まってるだろう、おまえの誕生祝いだからだ」
 ほんとかなあ、と僕は首を曲げた。僕が小さい頃、アスランは誕生日パーティーに必ず顔を出していたけれど、それも十歳の誕生日以来絶えている。おおかた僕の誕生日にかこつけて、カガリのプライベートな旅行に同行したのだろうと推察した。
 アスランとカガリが親密な仲なのだということは僕だって気づいている。世間もメディアもたぶん気づいていないけど、さすがに身内なので気づく。おおっぴらにイチャついたりはしないけど、二人でいるときの空気で互いを隅々まで熟知しているのがわかるし、なによりアスランを見るカガリの目を見ればわかる。決定的な事実の話をするなら、小さいころに夜中になぜか目が覚めてぼんやりしながらベッドから出たときに、二人がベランダでキスしているのを見てしまったことがあるのだ。
「勤務中じゃないからあんなラフな格好してたのか」
 空港で見たアスランの服装を思い出して納得した。ジャケットは着ていたけど、穿いていたのはデニムだった。
「あ、そうか、いま呼んだらまずいな。寝間着かもしれん」
「それ面白いよ。呼んで、呼んで」
 いつも隙のないアスラン・ザラのぼさっとした寝間着姿なんて見てみたいに決まっている。がぜん前のめりになってカガリにすぐに呼んでくれと頼んだのに、数分後に現われた男はパリッとしたシャツを着ているだけでなく、ウールのジャケットまで羽織っていた。
「残念、寝間着じゃなかったな」
「もー、期待外れだよ」
「なんの期待だ?」
 カガリの隣に腰掛けながらアスランは眉を寄せていた。
「部屋でくつろいでいる頃かと思ったけど、違ったみたいだな」
「バーで軽く食べてたから」
「じゃあ、なにか飲むか? 乾杯しよう」
 ウエイターが差し出したドリンクメニューを眺めながらあれこれ話している二人を眺めながら、僕はグラスに残っていたジンジャーエールを飲み干した。しまった、やっぱり呼ぶんじゃなかった。こうなったら僕がお邪魔虫になってしまうじゃないか。
「僕はお腹いっぱいだから、部屋に戻ってるね」
「え?」
 カガリが驚いた顔でこっちを見る。
「二人でゆっくり飲んでよ」
「ちょ、待てよ」
「おやすみ。子供は寝る時間だから」
 僕がひらひらと手を振ると、カガリはそれ以上引き止めなかったが、アスランは複雑そうな顔をしていた。昼間も反抗的なことを言ってしまったから気にしているんだろうか。両親には反発も反抗もしたことないのに、アスランにはどうしてか対抗心のような気持ちが湧いてしまう。でもこれは同席を避けたんじゃなくて、カガリの話し相手を譲っただけだし、彼が嫌いなわけでもないからそんな顔をすることないのに。
 二人でいるときは熟年夫婦みたいな距離感で会話をするくせに、一歩でも公な場に出たら代表と准将の顔しかしない。お互いのファーストネームも呼んだことないような顔でしらじらしく予定を確認し合うのを横で見ていて、どこかにスイッチでも付いてるんだろうかと感心したことがある。
 レストランを出る前にチラッと振り向いたら、アスランはカガリの向かいの椅子に移動していた。カガリの話にゆっくりとうなずく横顔をほんの少しだけ眺めて、僕はエレベーターホールへ向かった。やわらかなカーペットをのんびり踏みながら、僕はクラスメイトの話をなんとなく思い出していた。
「ザラ准将って結婚しない主義なのかな」と休み時間に女子から話しかけられたのは、前日の夜にアスランがテレビの討論番組に出ていたからだ。軍縮を巡る問題について、軍関係者もコラムニストも哲学者もモルゲンレーテ社の広報担当も、それぞれの分野の筆頭者が集まってかなり大規模な特集番組として放送されていた。すごく真面目で難しい討論番組だったのに、SNSで一番盛り上がっていた話題はアスランの容姿についてだった。
「しない主義とかじゃなくて、ただしてないだけじゃない? あんたは結婚願望つよつよだから、するかしないかの二択なんだろうけど」
「てか相手がいないだけじゃない? あれだけスペック高かったらなんか理想も高そうだし」
 口々に答えたのは僕じゃなくて周りにいた女子だった。僕は、ただしてないのは正解だけど相手がいないは不正解だなあと心の中でつぶやきながら黙っていた。最初に僕に話を振ってきたのはアスランと知り合いだということがクラスメイトには知れ渡っているからなのだが、僕が一言も喋らないでもアスランの結婚についてわいわいと持論を展開する声からしれっと逃げようと腰を浮かせたら、それを見透かしたようなタイミングで後ろから声をかけられた。
「出自のせいでしょ、どう考えても」
 後ろの机から身を乗り出してきた男子はやけにきっぱりと言った。
「出自? むしろ名家なんじゃないの?」
「だからだよ、ザラ家の再興を画策している人間はたくさんいる。パトリック・ザラの理念こそがコーディネーターにふさわしい未来と考える人にとっては、第三世代の子供は喉から手が出るほど欲しいんじゃないかな」
 クラスメイトたちの会話が耳の中で再生される。訳知り顔で語られた第三世代の子供、という言葉を頭の中でつぶやきながら、僕はエレベーターに乗り込んだ。部屋のある階のボタンを押そうと指を伸ばして、ふと出来心が芽生えた。指をずいっと下げてロビーのある一階のボタンを押した。街に出るなら今だと思ったのだ。
 スカンジナビアは古い石造りの建物が多い、美しい街だ。ほんの少しでいいから散歩してみたい。ホテルの目の前にあるコーヒーショップに入るだけでもいいから、とカガリに頼み込んだが彼女は首を縦に振らなかった。カガリがおいそれと街を歩いたりできないのは十分理解している。だから一人で行く、僕ひとりならどう行動しても自由だろう? ただの子供なんだからと食い下がってもカガリは許可を出さなかった。
 だったらこっそり出て行くしかないってことだ。エレベーターが小さなモーター音と共にするすると降下し、一階に到着してベルが鳴ったとたんに僕は一歩踏み出した。颯爽とロビーを横切って外を目指すつもりで歩き出したら、二歩も進まないうちに止められた。
「どちらへ行かれるんですか」
 いつ進行方向に回り込まれたのかわからなかった。グレーのスーツを着た大柄の男が目の前に立って、僕の行く手をふさいでいた。耳にインカムを着けている。カガリの護衛の一人だ。ロビーにまで人員を配置しているとは思わなかった。ちょっとコーヒーが欲しくなったからそこの店に行くのだと説明したが、しどろもどろになった僕の言い訳はもちろん通らなかった。
「コーヒーがご入り用でしたらルームサービスをご利用ください」
 言い方はやさしく丁寧だったけど、なにぶんがたいがいいので説得に圧力があった。しかたなく戻った部屋のベッドに突っ伏して、つまらないとぼやいた。大きな窓に目を向けると何かがちらちらと光った。雪だ。高層階の窓の外で雪が舞っているのだ。
「きれいだな……」
 オーブではけっして見ることのできないもの。結晶となった氷が集まり一塊となったもの。ただの水分子の集合体なのにどうしてこんなに美しいのだろう。予定では明日の昼にはオーブに向かう飛行機に乗ることになっている。夜の雪を見られるのは今だけなのだと思ったら妙なやる気が出てしまった。僕はベッドから跳ね起き、ルームサービスのメニュー表を手に取った。
 部屋のインターホンが鳴ったのは数十分後だったので、もしやカガリが戻ってきたのかとも思ったが、ドアを開けたところにいたのはすっきりと背筋を正した客室係だった。僕はなにより先に白いクロスが掛かったワゴンを見た。コーヒーに加えてサンドイッチとサラダとスープも頼んだので、部屋にやってきたワゴンはディナーにも使えそうな大型のものだった。
「あの、中へお運びしてもよろしいですか」
 僕がじろじろとワゴンの車輪を見ていると戸惑った声で客室係の女性が言った。もちろんもちろん、どうぞ中へとドアを大きく開いて僕はにっこり笑った。客室係がホッとして気を緩めたのがわかった。僕より少し年上だろう、若い女性だ。僕は自分の笑顔がどういう作用を持つのか、経験からよくよく理解している。





劇場版特典発表の記念に!
めでたく完全に解釈違いとなったので続きを書くことはないかもしれない話

2024/01/11