あの日のあなたへ
※捏造注意
ふくふくと柔らかな手が積み木を一つ持ち上げる。
おっとりとした手つきでそれを別の積み木の上に積み上げる。長方体の木を一つ、また一つと積むだけだが、おぼつかずうっかりすると崩してしまいそうだった。
そんな幼い動作のすべてをアスランはただじっと見つめていた。黙々と積み木を重ねている幼子は城を造っているようにも見えるが、目的を持っているように考えるのは大人の解釈でしかないことをアスランはこの頃学んだ。
「できた!」
積み木を垂直に十ほど重ねたところで子供は嬉しそうに言った。積み木の塔が目の高さになったことで満足したのだろう。
「なにを作ったんだ?」
アスランが顔をのぞきながら聞くと子供は少し考えてから、ぱっと笑顔で一言答えた。
「きりん!」
たどたどしく積み上げられた木の塔が、この幼子にはキリンに見えているのか、とアスランは不思議に思いながらも微笑んだ。
「そうか、上手にできたな」
褒めると子供はくすぐったそうに笑う。血色のよい頬が桃のようだ。最近になって褒められると照れを見せるようにもなってきた。カガリにそれを話すと、きっとそれも成長なのだろうと彼女は楽しそうだった。
昨日できなかったことが今日にはもうできるようになることが日常にたくさんある。大人にはとても真似のできないとめどない進歩だ。それを見つけるたびにカガリが手をたたいて喜び褒めるので、アスランもすっかり褒め上手になっていた。
(たぶん、カガリの影響ばかりでもないんだろうけどな)
なにかを成し遂げるたびに顔をほころばせてこちらを見る幼子に誉める以外のなにができるだろうか。
(……俺は父上のような厳格さのある父親にはとうていなれないな)
ふと、脳裏に父の横顔が浮かんだ。パトリックには肯定的な言葉をかけられた記憶はほとんどない。
(父親とは厳しくあるものだと思っていたな。特に小さい頃は……)
幼い頃の記憶にいる父はいつも固い表情をしている。
アスランにとっての父は威厳の象徴のようだった。いまアスランが子にするような手放しの賛辞などまずありえない。父に疎まれているのではないかと考えたこともあるくらい、父子の関係は朗らかなものではなかった。
(……いや、いま考えるのはよそう)
思い出に沈みそうになるのを止めて、アスランは幼子へ目を向けた。
アスランの称賛で弾みがついたのか、子供はいくつも積み木の塔を作っては得意気に見せてくれた。そのうちに、積み木遊びに一つの達成を見たのか、今度はテーブルについて絵を描き始める。力いっぱいにクレヨンを動かす小さな体をアスランはまた黙って眺めていた。
「ねえ、おかあさまは?」
ふいに思い出したのか、クレヨンを持った手を止めて子供はこちらを見た。
「もうじき戻ると思うよ。ちょっとだけ仕事をしたらすぐ帰ってくる」
「そっか……」
部屋のドアを一度振り返ってから、子供はまた絵を描き始めた。
明日の予定に急な変更があったとかで、カガリが打ち合わせに出掛けてから一時間ほど経った。今日は三人でピクニックをしようと張り切って準備していたカガリなので、出来る限りの早さで仕事を片付けているに違いない。
(ピクニックか……父上とそういうふうに出掛けたことがあったかな)
考えながら記憶を探ろうとして、アスランはため息とも苦笑いともつかない息を吐いた。なぜだろう、今日は父のことばかり考えている。
こつこつとクレヨンが画用紙に色をつけるたびに小さく音が鳴る。
無心に絵を描く子供はきゅっとくちびるを結んでいるので、部屋はほんとうに静かだった。静謐さが色々なことを考えさせるのだろうか。
「できた!」
クレヨンをぐっと高くあげて子供が声を上げた。
見せてくれ、と呼ぶ前にアスランをめがけて駆け寄ってきた。両手にしっかりと描いたばかりの作品を持っている。
「上手いな! よく顔がかけている。これは……」
「おとうさまだよ!」
画用紙には顔中で笑っているような人物が紙の端までいっぱいに描かれていた。
「笑っているな」
「だって、おとうさま、いっつもにこにこしてるもん」
子供が手を伸ばしてアスランの頬に触れた。
そのとたん、既視感を起こしてアスランは目を見張った。以前にも同じような場面を繰り返した気がする。
子供が描いた絵に感想を言うのはこれが初めてではないから前にも似たやりとりをしていて当然なのだが、そういう感覚ではなかった。
もっと奥深いところにある記憶に今たしかに触れた。思い出そうとしても自分では見つけられないほど深い、湖底の宝箱にあるようなもの。
『……よく描けたな、アスラン』
低い声がゆっくりとつぶやくのが聞こえたようだった。その声をわずかも忘れていなかった自分に少しだけ驚く。
パトリックの声だった。
夢の中の情景のようにはっきりとしないが、思い出したのはアスランが描いたパトリックの顔を彼に見せた時のことだった。画用紙を持つアスランに父は笑いかけている。アスランはおそらく四歳かそこらではないだろうか。
(そうだ……あんなふうに笑う人だった)
長じてからの記憶が積み重なって、ごく幼い頃の出来事を知らず埋もれさせてしまっていたのか。幼い自分に向けて話す父のぎこちないながらも慈しみのにじむ表情。
子供の扱いに不馴れな様子までアスランは思い出していた。
(忘れていることが意外にあるものだな。四歳くらいの記憶ならそれもしかたないが。もしかすると、ピクニックに行った記憶なんかもそのうち思い出すかもしれないな)
芝生の上で弁当を食べる父の姿を想像してアスランは笑いをもらした。
「……おとうさま? どうしたの?」
黙りこんでしまったアスランの顔を子供がそっとのぞきこんできた。
金色の瞳が間近にこちらを見つめる。
そのまろやかな頬にぽつりと雫が落ちた