六千万秒の恋

空白の二年間



ささやきのような波の音が、遠くからの呼び声みたいだった。
そうか、海の近くにいるんだった、とそれだけ眠りの中で思い出す。
その音をまどろみの中で聞いていると、南国のまぶしい陽光が閉じた目を射してきた。
こんなに明るいということは、もう昼に近いのだろうか。
そろそろ起きてはどうかと言われた気がしてきて、アスランは重いまぶたをゆっくりと開けた。
カーテンをひいているはずなのに、視界いっぱいに光があふれ、開いた目を思わず細める。
どのくらい寝入ってしまったのだろうと、寝ぼけた頭で時間の感覚を思い出そうとしていると、ようやく明るさに目が慣れてきた。
そうして、はじめに見えてきたのは長い金色のまつげだった。
太陽の光があたって、透き通るように輝いている。
(……カガリ)
額が触れそうなほど近くで彼女は寝息をたてていた。
その光景に、幸福感が胸に広がってきて、アスランはふとカガリの頬に手を伸ばそうとした。
そうして身じろぎした瞬間に、しかし、それまで温まっていた心が急速に冷えた。
アスランの手によってずれた寝具からのぞいたカガリの肩が素肌だったからだ。
無意識に視線をそらすと、裸の胸元が目に飛び込んでくる。
さらに、ぎくりと体が固まってしまった。
(……そうだ、昨日、俺は)
自分で服を脱がせて、触れたくせに、朝のすがすがしい光の中であらためて彼女の体を目にすると、戸惑うよりほかになかった。
オーブでの生活が始まって数ヶ月、カガリとは恋人同士の関係なのだという自己認識はあった。
人目のない場所で手をつないだり、二人きりで会えたときには別れ際にキスもした。
なにより、お互いが想いあっていることを心で感じていた。
ドラマや映画にあるような告白の言葉をカガリからもらってはいないし、アスランも明確に言葉にしたことはなかったが、そんなものより二人でいるときの至福ともいえる空気が、恋人であることのなによりの証だった。
そんな現状が自分には充分すぎるものだとアスランは満足しているつもりだった。
(……でも、そんなのは、自分を騙す言い訳だったんだな)
こうして、カガリと同じベッドで寝ているのにはいくつかのいきさつがあった。
先日、ある公的行事の延期があったことから偶然にアスランとカガリの休暇が三日連続で重なることになったことがそもそもの始まりだ。
オーブ国内を案内したいとカガリが誘ってくれたので、二泊三日の旅行が決まったのだった。
公式に観光地を訪れるわけではないので、人目を気にする必要もあり、あまり有名な観光地を巡ることはできなかったが、時間を気にせず二人で過ごすことのできる充実した旅行だった。
夕方に到着した海辺のコテージはオーブでも有数のロケーションと美しさを誇る会員制のリゾートホテルだった。
部屋から直接泳ぎにいける作りになっていることに、カガリははしゃいでいた。
水着を持ってきて正解だったと、軽く飛びはねながら、さっそく着替えようとカガリは寝室のドアを開けていたが、そこで彼女の動きが止まった。
広々とした寝室のベッドが、クイーンサイズのベッドだけなのを見つけてしまったからだった。
カガリの戸惑いは当然のものだった。
同じ部屋で一晩過ごすことも初めてなのに、同じベッドで眠るなんて一足飛びすぎるだろう。
「……カガリが部屋を指定したのか?」
カガリの肩越しに寝室を見て、アスランも動揺した。
「いや、このホテルはアスハ家が契約してるから、予約はアスハ家の者に頼んだんだけど……」
困惑したくちぶりで、カガリは答えた。
(……そうか、こういう部屋になる可能性を考えておくべきだった)
堅物だ、生真面目だと揶揄されることも多いアスランだが、二人きりの旅行が決まってから、ある意味でよこしまな想像をしなかったわけではない。
考えていたことが目前に現れて、心を煽られないはずがなかった。
「いや、心配しなくていいぞ。俺はこっちの部屋のソファで寝るから、カガリはベッドを使ってくれ」
せっかくの旅行が気まずくなることだけは避けたかった。
建前に近い提案をしながらも、緊張と、転がりこんできたお膳立てに高揚する気持ちとがないまぜになっている。
「寝室はカガリの部屋にしよう。ほら、海で泳ぐために着替えるんだろう?」
カガリに部屋を使うよう促して、アスランは海に面したベランダに向かおうとしたが。
弱々しくシャツの袖をつかむものを感じて立ち止まった。
振り向くとうつむいたままのカガリが、指先でアスランのシャツをにぎっていた。
「カガリ……?」
表情は見えないが、耳が火照っているように赤い。
「あ……あの、わたし」
なんとか絞りだすようにかすれた声で、カガリは一言だけ言った。
「だいじょうぶ……だから」
伏せたまつげを震えるように何度もまばたく。
恥ずかしそうに、華奢な体をますます縮めるカガリを見つめたまま、アスランの思考は滞ってしまっていた。
「大丈夫って……」
急な進展など、嫌がって拒否するとばかり思っていたカガリの口から肯定的な言葉が出るとは思いもしなかった。
それを自分に都合のいいように解釈していいものかどうか迷いながら、アスランの手はカガリの髪にそっと触れていた。
「それは、俺がソファで寝る必要はないということか?」
どこかで待ち望んでいた許しを、みすみす聞き逃すほど純朴でもなかったようだ。
カガリが前髪を揺らして小さくうなずいたので、アスランは髪を撫でていた手を滑らせ、あごに手をかけた。
カガリの意思を確認するように、触れるだけのキスをする。
「二人で同じベッドで寝ると、俺は眠るだけじゃすまなくなるんだけど……」
唇から伝わる互いの体温が、いつもよりずっと熱い。
「それでもいいのか?」
額を離すと、ほんのりと頬を染めたカガリの瞳が潤んでアスランを見上げていた。
それはもう、駄目押しだった。
自分でたずねておきながら、返事を待たずにアスランは唇をふさいでしまっていた。
ほとんどむさぼるようなキスをするアスランに、けれどもカガリが抵抗するようなことはなく、それどころか控えめにだが応えてくれたことで、歯止めがきかなくなった。
結局、カガリが用意した水着を着ることはなく、それから朝まで、二人は寝室に籠もりきりになってしまったのだった。