蜜色椿

ログ 4

思いつきの冒頭だけ





 キサカのあんなに焦った顔を見たのは初めてだった。
 もはや親戚の叔父か歳の離れた兄のような存在であるキサカだが、生真面目なこの部下は執務室を訪ねる際はかならず面会申し込みをするのである。公務中のカガリにはあくまで一軍人として接する。そんな彼を律儀なやつだなあと常々思っていたのだが、その日はノックひとつでいきなり執務室のドアを開けてきたのでちょっと驚いた。
「カガリ、少しいいか?」
 彼が息を切らせていたのでカガリはいっそう驚いた。
「ど、どうした?」
「静かに」
 素早く執務室のドアを閉めて、キサカは抑えた声で言った。なにを抱えているのだろうと思ったら白い毛布だった。毛布の中に何かがくるまれている。そこそこの重さがありそうに見えるが、犬かなにかだろうか。
「いいか、驚いて大声を出すんじゃないぞ」
「なんだよ、いきなり」
 首をかしげるカガリのすぐ横まで来て、キサカは腕のなかの何かを抱え直し、そっと毛布をめくった。
「子供……?」
 キサカが抱いていたのは子供だった。長いまつ毛に縁取られたまぶたをふんわり閉じている少女、いや少年だろうか。毛布の中ですうすうと寝息をたてている。
「この子がどうかしたのか?」
 キサカと子供を見比べてたずねた。キサカの親戚の子供、だろうか。それにしては顔の系統が違いすぎる。
「……わからないか?」
 キサカは苦り切った様子で、子供の顔をカガリに近づけた。
「わからないかって? 私はこの子を知らな……」
 少年の髪がさらりと白い頬にかかった。深い青色の髪。睫毛も同じ色だ。そのまぶたの奥にエメラルドのような瞳があるのだと、カガリはなぜかわかってしまった。
「アスラン……?」
 名前を口にして確信した。
 同時に悲鳴をあげそうになって手で口を押さえる。
「な」
「信じられないが、そういうことだ」
「いや、でも……え? ええ?」
 途方もない混乱がカガリの脳を揺さぶった。なんなんだこれは、どういうことだ。キサカが抱きかかえている子供は五歳くらいに見えるが、これがアスラン? よく似たどこかの子供だとかいうことはないのか? いとことか、ザラ家の傍系とか、と混乱しながら考えを巡らせたが、アスランに近い血筋の者はほとんど絶えているのだと、カガリはよく知っているのだった。頭を大きく二回振る。
「……こんなことがあり得るのか」
「たまたま移動が同じ方向になったから、私が運転する車の後部座席に彼を乗せていたんだ。彼も私も黙っていたから、とくに後ろを気にしてはいなかったんだが」
「気がついたらアスランの身体が縮んでたって?」
「車のエンジンを止めても降りる様子がないから、声をかけて振り向いたらこうなっていた」
 なんだってこんなことに、と大声を噛み殺すような顔でキサカは毛布にくるまれた子供をちらりと見た。
「……アスランはなにか言っていたか」
「いや、眠ったままなのだ」
「ちょっと待て、なんで私に差し出すんだよ」
「私には無理だ」
 弱っていることを隠さず、しおしおと子供をカガリに向けて差し出す。どんなに過酷な戦況でも、砲弾の雨の中でも毅然と背筋を正しているキサカがこんなことになってしまうとは。大人が顔を突き合わせ、てんやわんや小声で話している下で小さなアスランはすやすやと眠り続けていた。
「まさか……このまま目を覚まさない、なんてことないよな」
 ふと不安になって、カガリは毛布ごと小さな身体を抱えてみた。キサカの腕から受け取ったとたん重みに少しよろけた。子供は思いのほか重かった。重くて、あたたかい。素直そうな顔立ちだ。この子供があの戦場の誰もが畏怖するMS乗りに成長するのか。アスラン自身は幼少期の写真を一枚も所持していなかったが、月で生活していた頃の写真をキラに見せてもらったことがある。アスランが映っているものがいくつもあった。これほど幼い時期のものではなかったが。
「あ」
 小さなアスランが身じろぎしたので、驚いて声が出た。肩をすくめた子供がゆっくりと目を開ける。緑色の瞳にカガリの姿が映る。アスランはカガリを見て不思議そうにぱちぱちと瞬きした。澄んだ両目と間近で見つめ合う。
「あのう……お姉さんはどなたですか」
 不安げにたずねられて、カガリは凍りついたように身動きができなくなった。





2025/02/15