ログ 4
運命後 インスタの話
カガリが画像共有SNSを始めたという、そのことをアスランが知ったのは自宅で支度をしているときだった。教えてくれたのは朝の情報番組である。オーブ国内のカジュアルな話題と、週末までの天気を確認するためにテレビをつけっぱなしにしており、アスランは寝室でいつものシャツに袖を通していた。
「続いて、アスハ代表の話題です」
キャスターの明るい声に思わず振り向いた。テレビには広報用に撮影されたカガリの笑顔が映っていた。
「アスハ代表がこちらのSNSのアカウントを開設されたのは昨晩だと確認されているのですが、すでにフォロワー数は五十万人を突破しており」
SNS? 初耳だが、とカフスボタンを留める手を途中で止めて、アスランはリビングのテーブルに置きっぱなしだった携帯端末を取り上げた。端末をスリープから起こす。カガリからの連絡はない。まあ、それはそうか、べつにやることなすことすべて報告する義務などない。アスランにはカガリの恋人という唯一無二の肩書きはあるが、一国民という立場では五十万人のうちの一人と同じである。ソファにどかりと座って手の中の端末を触る。
画像共有SNSとやらを使うにはまずアプリをダウンロードして会員登録をする必要があった。そういうものに疎いアスランはスタート時点から五十万人のフォロワーに遅れをとっている。名前とアドレス、パスワード、その他入力必須の項目をすべて埋めてSNSの会員となり、ようやくカガリのアカウントにたどり着いたときには出発時間が数分後に迫っていた。
「クッキーの写真か? これは」
ばたばたと身支度をしながら確認できたのは一番上に表示されていた写真一枚だけだった。皿に載せられた三枚のクッキーだった。広報部が撮っているものではなく、カガリ個人の端末で自ら撮影した写真なのだろう。ライティングも構図もなにも気にしていない、素直に直上から皿を撮っただけの写真だった。優美な細工が施された銀食器の中央に素朴な色をした菓子が置かれている。昨日の間食だったのか。銀食器の背景はカガリの執務机だ。金褐色に磨かれた木目の美しい天板に見覚えがあった。
身の周りの何気ない日常を切り取って投稿するのが、そういうSNSのやり方なのだろう。とりとめのない日記のようなものか。写真自体に意味はなくてもいいのだ。だから三枚のクッキーに深い意味も理由もないはずなのだが、アスランは午前中いっぱい、カガリはなぜあの写真を投稿したのだろうと度々考えてしまっていた。
「さっきのカガリ様の投稿見た? 可愛すぎない?」
「ね! あの写真撮っちゃうアスハ代表が可愛いよね」
空軍の食堂で黙々と食べている最中に、若い兵卒が側を通り過ぎた。興奮している様子の二人は声が大きくなっているのも気にせず、可愛い可愛いと連呼していた。 カガリが自分の顔を撮って投稿したのだろうかと思い、アスランはフォークを置いてジャケットの内ポケットから携帯端末を取り出した。今朝、末席に加わったばかりのアプリを立ち上げると、真っ先に表示されたのは子犬の写真だった。真っ白な毛玉でできているような子犬だった。毛玉の真ん中につぶらな瞳と小さな黒い鼻がある。これはたしかに可愛い生き物だ。この写真ももちろんカガリが手ずから撮ったものなのだろう。動き回る子犬を追いかけて撮ったらしく、ピントが合っていないし、ちょっとぶれてもいる。投稿時間を見ると数十分前だった。今日の視察先に犬がいたのだろうか。
あの写真撮っちゃうアスハ代表が可愛いよね、とはしゃいでいた兵卒の声が頭の中で鳴っていた。ちょこまかと走り回る子犬を追いかけて、懸命に正面からの写真を撮ろうとしているカガリの姿が思い浮かぶ。待て待てと白い子犬を呼びながら、ころころと笑っていただろう。つい緩んだ頬のまま、アスランはフォークを取り上げる。口の中に入れた人参がやけに甘かった。
カガリがSNSにその日最後の投稿をしたのは日が落ちた少しあとだった。個人の端末を確認するのはいつも仕事が終わって家に帰り着いてから、というアスランがその日は手が空いた瞬間ごとに端末を触っていた。おかげで投稿に間髪入れずに気がついた。
「……夕焼けの写真か」
執務室の窓から撮られている。オレンジから濃紺へ変わっていく空が映っていた。よく晴れた一日だったから、黄昏もなめらかなグラデーションになっている。更衣室でパイロットスーツを脱ぎながら、アスランはずっとその写真を眺めていた。
同じ空をアスランもついさっきまで見ていた。新型戦闘機のテストを終えてヘルメットを脱ぎ、見上げた空がこれと同じ色をしていた。このところデスクワークが続いていたため、気分転換もかねてテストパイロットに加えてもらっていたのだが、おかげでカガリと同じ空を見られた。潜入任務となれば連絡を取らない日が一ヶ月は続いたり、直接顔を見て話すよりもテレビで顔を見る回数の方がよほど多かったりする、そんな恋人ではあるが、少なくとも今日は同じ夕焼けを見ていたのだ。
「しかし、これも微妙にぶれているのか?」
カガリの撮った夕景の真ん中を白っぽい毛糸のようなものが横切っているのが気になった。ぼんやりとした筋が画面の中央を斜めに横断している。なにかが映り込んでしまったのだろうかと拡大して、アスランはぴたりと瞬きを止めた。その一点を凝視する。画面の中央を横切っていたのは飛行機雲だった。戦闘機が空に引いた航行の軌跡だ。官邸にあるカガリの執務室の窓は西南を向いている。日が暮れる時間帯に、官邸の南を横切ったのはアスランのテスト機だったはず。
『きれいな飛行機雲が出てたから、明日は雨かもしれませんね』
整備士にそう言われたことを思い出した。
だけど、たまたま、偶然映り込んだのかもしれない。カガリは気が向いたときにとりとめなく写真を撮っているようだし、と昨夜からの彼女の投稿をさかのぼってみる。細い飛行機雲が横切る夕焼け空、昼間の白い子犬、今朝見た三枚のクッキー。なぜか気になってしかたがなかったあのクッキーだが。小麦色の菓子をあらためて見つめ直していて、アスランはその訳に気がついた。見覚えがあるのだ。ぷっくりとした厚みのあるクッキーの周りにキラキラとした砂糖がまぶしてある、その味が明確に想像できるのである。食べたことがある。あるはずなのに記憶がない。記憶力にはそれなりに自信があるのに、なぜだろう。答えを探して、投稿写真に寄せられたコメントを流し読みしていると、コペルニクスという地名がいくつか目に入ってきた。
『そのクッキー、コペルニクスのお店のものですよね!』
カガリの投稿に寄せられた数千のコメントに同様のものがいくつもあった。この写真だけでどうやって販売店を特定するのか、その情報収集能力も気になったが、店名が判明したおかげでようやく腑に落ちた。食べた覚えがあるのに、記憶がない、妙な感覚の正体がそこにあった。月に住んでいた頃に母が買っていた菓子のひとつなのだ。幼すぎて食べたときの記憶があいまいになっているが、不思議と店の名前ははっきり覚えている。その店の名前をカガリに教えたことがある。
「今度、コペルニクスに視察に行くから名物を教えてくれ」
カガリがそうメッセージを送ってきたのは先月のことだ。名物かどうかはわからないが、と前置きしてアスランは返信に店名を書いた。だがその後、カガリがその店に行ったのかどうか、菓子を買ったのかどうかについては連絡がなかった。先週までアスランの方が国外に出ていて連絡がつかなかったからだ。
だから、写真を撮ったのだろうか。
いや、そうとも限らないだろう、奔放なカガリのことだからとくに気にせず撮っただけかもしれない。と、クッキーと並んで表示されていた白い犬を眺めて、アスランはとうとうひらめき、そしてため息まじりに笑った。そういえば、猫派か、犬派か、という会話を一昨日したばかりじゃないか。どちらかというと犬が好きだとアスランが答えると、カガリは電話の向こうで「そうなのか、ふうん」と相槌を打っていた。
コペルニクスの小さなケーキ屋のクッキーに、犬派が好きそうな子犬の写真、そしてテスト機が今日の空に描いた飛行機雲。すでに百万人を超えているフォロワーの中の一人であるアスランだけが、一見無関係な写真の羅列の意味を知っている。その意味に気づいたことを、カガリに言いたい気持ちが湧いてきたが、次に投稿される写真がなにか、ちょっとだけ待ってみようか。
カメラを手に被写体をじっと見つめるカガリの姿を思い描きながら、アスランは着替えの続きに取りかかった。