ログ 6

学パロ





 真っ暗な廊下を端から端まで駆けてみる。
 行き止まりにある階段の前まで来て、私は大きくひとつため息をついた。
「……ここにもいない」
 上がった息を少し整えてから、また走りだす。階段を一段飛ばしに上って、教室をひとつひとつ覗きながら廊下を端まで駆ける。
 どの教室も無人だった。廊下を走るな、と叱ってくる教師もいないので、上履きを思いっきりぱたぱたいわせて私はまた暗い階段を駆け上がった。
 この上に教室はない。もしも屋上なんかにいたら絶対文句を言ってやると、荒い呼吸のまま重たい鉄の扉を力いっぱい押した。夜空がドアの隙間から覗くと、わっと吹いた風に髪が舞う。昼間の陽気はどこへ消え失せたのだろう。乾いた冷気は晩秋そのものだった。
「やっぱり、こんなところにいた」
 私はわざと声を大きくして独り言を言った。手すりにもたれて、校庭を見下ろしているアスランの背中に聞こえるように。
「カガリ?」
 振り向いた彼は薄闇にもわかるくらい驚いていた。
「おまえさ、なんでこんなところに一人でいるんだよ。実行委員はもう本部で打ち上げ始めてるってのに」
「俺はそういうのはいいよ。仕事は全部果たしたんだし、お役御免だろ」
「またそういうことを言う」
 並んで手すりにもたれながら、私はむくれた。
「せっかくの高校最後の文化祭なのにさ」
 最後だから、と強引に文化祭の実行委員にアスランを引き入れたのは私だ。彼の情報処理能力が切実に欲しかったのが理由の半分、もう半分はアスランに文化祭を楽しんでもらいたかったから。社交性というものを持ち合わせていないのか、発揮する気がないのか、学校のイベントにこれまでまともに参加して来なかった彼に、こういう楽しみもあるのだと知ってもらいたかった。
「……やっぱり委員やるの、しんどかった?」
 長い沈黙の後、私はぽつりと尋ねた。
「そんなことないよ。仕事としては簡単なことばかりだった」
「いや、そういうことじゃなくてさ」
 どう言えばいいのか、わからなくて唇を尖らせる。
後ろめたさのせいで素直に話せない。最後ならもっと一緒にいたいなんて下心を隠して、彼を実行委員会に引っ張っていったのだから。
「委員をやるのはそれなりに楽しかったよ。得るものもあったから損はしていないし」
 そこで初めてアスランは私の目をまともに見返した。
「カガリこそ、こんなところにいていいのか? 誰かに呼び出されていただろう」
 私は息を飲んでまばたいた。
「……なんで知ってるんだよ」
「立ち聞きする気はなかったんだが……でもあの時間、本部にいた委員ならたぶん皆知ってるぞ」
 思わず顔を覆ってうなってしまった。
『後夜祭の花火を一緒に見よう』と、今日の昼間にある男子から誘われたのだ。昼食時で本部に人は少なかったし、アスランの姿も見当たらないなと思っていたのに。
「あれは……いいんだよ」
「そうなのか?」
 アスランは首をかしげている。たぶん、いやきっと後夜祭の花火の意味を、彼は知らないのだろう。
「うん、断ったんだ。だって、わたしは」
 続けて言おうとした言葉を掻き消すような歓声が校庭に湧いた。続けて校内のスポットライトの明かりがすべて消える。いきなり、目がくらむような闇に変わる。
「時間だ」
 アスランのつぶやきに応じるタイミングで、最初の火種が夜空を昇った。
 ぱっと光の花が開く。体に響く花火の轟音。
「……綺麗だな」
 花火を見上げたままでアスランが言う。同意を求める感想なのか、独り言のつもりなのか。私がここに来なくても、変わらず彼は花火を見ていたのだろうか。
 他人と積極的に関わろうとはしないアスランが、唯一学校内で自分から話しかけるのは幼なじみの私だけだ。それは特別といえば特別なのだろうけど、ただ幼子が見知った相手にだけ口をきくのとあまり大差ない気もする。
「……アスラン」
 弾けては輝く花火に照らされる彼の横顔をじっと見上げた。
「ん? どうした?」
 呼べばすぐに応えてくれる。
 お願いをきいてくれなかったことは、たぶんこれまで一度もない。私はきっと彼の特別であるはずなのに。
「ううん、なんでもない」
 何かが足りないと手を伸ばしかけて、私はいつもそれを引っ込めてしまう。次の花火を待つ暗さの中では、アスランの表情も不確かでわからない。
「意外に歓声が上がらないものなんだな」
 花火の合間、アスランは見えるともない校庭を見下ろしていた。後夜祭に騒がしかった校庭の生徒たちが、妙なくらいに大人しい。もしかすると、最後の花火がどれか、見極めようとしているのかも知れない。
『最後の花火が弾けた時に手を繋いでいた二人は必ず結ばれる』なんていうこの学校のジンクスを、どれだけの生徒が信じているのかはわからないが。恋をしている者の多くが待っている『最後の花火』がいつ上がるのか。実行委員を務めた私は、実はよく知っている。
 次の花火が上がったら……
 アスランの手はすぐ隣にある。
 少し指を伸ばせば触れてしまえそうな距離だ。この手に触れたら、何かがほんとうに変わるのだろうか。足りない何かが得られるのなら。
 長い口笛ような音がして火の玉がくねりながら空に昇っていってしまった。どうしよう、花火が開いてしまう。
まだ迷っている私の手を上から握る手があった。弾かれるように隣を向いたら、唇に何かが触れた。
 待ち焦がれていた高校最後の文化祭の最後の花火を、なので私は見ていない。


『だから、手をとった』

これのアスラン視点を よしこさん が書いてくれてます  2020/04/25